日本とイスラエル ヤマトとユダヤのこと聖書の言葉

右の手のしていることを左の手に知らせるな。

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誰にも知られることがない隠れた行いが、天の神様にも喜ばれる行為だということを表した聖書の言葉です。

新約聖書 マタイの福音書第6章1-6節

 自分の義を、見られるために人の前で行わないように、注意しなさい。もし、そうしないと、天にいますあなた方の父から報いをうけることがないであろう。
 だから、施しをするときには、偽善者たちが人に褒められるため会堂や町の中でするように、自分の前でラッパを吹き鳴らすな。よく言っておくが、彼らはその報いを受けてしまっている。あなたは、施しをする場合、右の手のしていることを左の手に知らせるな。それは、あなたのする施しが隠れているためである。すると、隠れたことを見ておられるあなたの父は、報いてくださるであろう。

口語訳 聖書 新約聖書 マタイの福音書 6節1~6章

と、イエス・キリストは語っておられます。
私が思う現代語訳にすると、
『自分が誰かのために何かをするのであれば、ほかの人に見られるようにやるのではありません。そうしないと、天の神様は、その行いに見あったものを返してくれることはないでしょう。だから、施しをするときには、偽善者たちが、他者からの賞賛を得るために町の目立つところで施しをするように、自分のしたことを大きな声で言うのではない。あなたが、右手で施しをしたのならば、そのことを左手に知られることがないくらいに注意しなさい。そうすると、隠れたことを見ておられる天の神様は、それに応じてあなたにこたえてくださるでしょう。』
と。
ここに書かれていることは、日本で、道徳として教えられてきたことと似ていますね。
自分がしてきたことを、大きな声で伝え、振りかざすことは神様も喜ばれないことなのです。仏教にも、陰徳といい、人の見ていないところで徳を積むことが良いとされていると聞きます。※陰徳の意味には諸説あります。

 天の神様からの報いを期待して物事をするわけではありませんが、私たちがしていることは、見えるところでも隠れているところでも結局、見られているということで、隠れた行いもいずれ、何かの応答があるということです。

SNSにみられている?

そして、現代、善行も悪行も見られているといえばSNSではないでしょうか。

テレビより、新聞より、情報が素早くその場から届くSNSには、善い行いから、目も当てられない愚行まで毎日流れてきています。そして、その情報をたくさんの人が見てさらに拡散されています。

善い行いについては、見ていて暖かな気持ちになったり、自分の行いを振り返ったり改める機会にもなりますが、悪行の数々には、見ているだけでエネルギーが奪われ心が疲れていくのを感じます。また、心無いコメントなどもそうですね。そして、どれだけの人に見られたかを競うようになっている人を見ると、見られるために、善行も悪行も故意に行われていると感じてしまうことがあります。

本来とても良いことをしているのですが、SNSの電波で拡散されることによってなにか別のものに成り代わってしまったように映るのです。

お互い様のおもいやり

人の見えないところで施しをするということは、日常の半径3m以内の人への思いやりとお互い様という感謝の気持ちであるのではないかと思っています。隠れた善行というものは、遠くへは届きにくいものだと考えるからです。

私の思う、左手に知られないように行うことは、目の前の人を助け喜ばせることということに尽きるのではないでしょうか。小さな小さな行いは、誰に知られることがないことかもしれませんが、向き合ったその人と私の中で大きな喜びになるのならば、それでよいのではないかと思います。

SNS流れない小さな行いは、あなたの周りでもたくさん起こすことができ、且つ、天の神様にも喜ばれる行いであるならば、どんどん、やっていきましょう。

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